スタッフの徳弘です。先日、愛媛県新居浜市にある旧別子銅山跡に行ってきました。ここは“東洋のマチュピチュ”と呼ばれており、遠い昔には住友家が銅山の一貫管理をしており282年もの間、約70万トンの銅が採鉱されていたそうで、今では産業遺産として多くの観光客が訪れているスポットです。
最初に向かったのは、標高750mの山中にある東平貯鉱庫跡(銅山から運ばれてきた鉱山石を一時的に保管しておくための倉庫)。別子銅山記念館から車で約40分の場所にあります。インクラインとして使われていた坂を下っていくと、そこにはまるでおとぎ話に出てくるような光景が。実物はとても迫力があり、本場ペルーのマチュピチュと比べると標高差はあるものの、“東洋のマチュピチュ”と言われる理由が少し分かった気がしました。
次は東平貯鉱庫から徒歩約15分の黄色い鉄格子が際立つ第3通洞と当時の面影が残る第3変電所。通洞は溜まった鉱内の水を排除するための役割を持ち、変電所は水力発電所から送られてきた電流を、家庭用や鉱山用に変電するための施設で、最盛期には約3,800人がこの地域で暮らしていたそうです。東平貯鉱庫とはまた違う廃墟館が漂っていて、お昼にも関わらず少し恐怖を感じました。(笑)
すべての遺構を周ることはできませんでしたが、まだまだ興味深い場所が残っており次に行く機会があればゆっくりツアーを利用して巡るのもアリかもしれません。今は鉱山としての役目を終え、眠りについている旧別子銅山跡。ロマンを感じることができました。